花巻の号

 《花巻の号は、昔、北上川、瀬川の元館のほとりより西の曲がり手、十八ヶ城愛宕の社の下より瑞興寺の北岸を廻り、城下を流れ南方に下流する。然るに愛宕の下、深淵にしてあたかも藍のごとく、水、常に逆巻き、暮春に至りては四方の桜花風に飛翔して水上に浮かぶ。川水回漂して渦巻に添いて巻きしを、時の里の民、花巻淵と号すなり。この花巻といえる名の起こりしは、天正の末(〜一五九二)の頃より専ら呼べりといえり。その後星霜を経るに従い、岸崩れ、谷埋もれて木は立ち伸び、川水寄すること、丁(約百メートル)を以ってす。しかしども旧号により、花巻と呼び、ついに村の名となり、当城は稗貫郡南の川口村、西は万丁目村、北は花巻村の間にあり、東は北上川なり》という古事による。